きっと、人間は、ひとりでなんかじゃ生きていけないように作られたんだ。


episode:1 始まりの雨

 時は20××年。

 雨がシトシトと、空から降って来る日だった。
 胡蝶蘭セイは聖マジョリアーナ学園高等部二年の、他人か見ればそれはそれは優秀な、けれどただのひとり
のどこにでもいる女子高生に過ぎなかった。先進医療医師の父を持ち、小さな頃から財力と学力に困った覚え
は無かった。故に、近代化に伴い貧富の差が大きく現れだしたこの時代でも、由緒あるマジョリアーナ学園に、
彼女はスムーズに入学することが出来た。
 多くの学友、信頼できる教師。今のこの社会情勢の中では、このマジョリアーナ学園では十代の若者が成長
する上で最も適した場所といえるだろう。

 世の中は、ここ数十年のうちにみるみると変貌していった。
 中でも、ロボット工学。
 それは技術の域を超え、人の、神の領域に達しようとしていた。

 それと共に、人間の世は腐敗し、社会は荒れていた。空は排気ガスの黒い雲で覆われ、人の心も黒く覆われ
ていた。世の中はゴミが増え、人の手で作られた美しい一部の景色だけが、人間の住む環境となっていた。

 そのために、日本国の上で最も安全な学校は聖マジョリアーナ学園。それ以外は掃き溜めのようなものだっ
た。人が求める場所、そのため入学金は高く、家柄が優先される。それ以外が入学を望めば、難関の試験をパ
スしなければならず、奨学金を求め競争が起こる。学園でさえも、多くの人の感情が渦巻く場所であった。


 セイは、そんな生活に少しずつ物足りなさを感じていた。模範的な成績、家柄、完璧な生徒像である自分。
何かが足りない、満たされない。そんな感情を彼女はいつも持て余していた。

「本当に大切なものなんて、あるのかしら・・・」

 彼女は今日もそんな思いを巡らせながら、降りしきる雨の中家路を急いだ。
 機械的な何かが動く音だった。辺りを照らすのはなけなしの街燈ひとつだけ。それは不気味に周囲を映し出
していた。セイは少しの恐怖を感じ、足早にその場を去ろうとした。

 その瞬間。

 何かと目が合った。人間の、顔。

 正確には人間の形をしたロボット。

 ふと、何かの音に彼女は急ぐ足を止めた。それは丁度、産業廃棄物の処理場の近くで、ロープで仕切られた
その向こうには、もう使えそうも無いほどに錆付いた鉄屑やガラクタが無造作に捨てられていた。

ギ・・・ギギ・・・

 軋むような、苦しむようなその音が、今度ははっきりとセイの耳に届いた。

 セイには、一瞬それが本物の人間であり、そして涙を流しているかのように見えた。

「びっくりした・・・A.Iロボットかなにかかしら・・・。こんなゴミのなかにこんな高価なものを捨てる
人がいるなんて・・・」

 ロボットが大幅に普及している現代でも、やはりその価値は高く裕福な家庭が買うものであった。家族とし
て、友人として、あるいは召使であったり、ロボットの役目は様々ではあるが、通常は不要になれば製造元へ
と返される。
 この社会では、裕福であるか貧乏であるか、どちらかひとつである。このロボットを捨てた主人も、結局は
金持ちの道楽で買い、飽きたからこの道端へ捨てていった。そんなところだろうとセイは思った。そして自分
もその金持ちの中の一人、という枠にはまるただそれだけの人物であろうということを思った。

 セイはしばらくその鉄くずの中の頭部と見つめあった。それの表面はところどころ酸化し錆びつき、人工皮
膚は無残にはがれ落ちていた。むき出しの瞳に注がれる雨粒が、涙のように見えたのだった。
 ふいにセイは鞄の中から携帯電話を取り出し、番号を押した。

「もしもし・・・ジュリアン?至急トラックをまわして頂戴・・・」

 セイはロボットを早急に持ち帰り、修理をさせることにとりかかった。
 ジュリアンはセイの家の執事ロボットである。けれども家にはほとんどセイしかいないので、いわばセイ専
属のロボットだった。彼女が命令の回路を多少いじっておいたので、ジュリアンは彼女に忠実で、父親にも彼
女の行動を喋ってしまうことがなかった。

 例え喋ったとしても、彼女の父親は彼女に興味を持っていなかった。
 医者である父親は仕事のせいで、家にいることの方が珍しいし、母親も父親の病院で理事として働きいつも
いなかった。

 セイの会話相手は、味気ない会話しかできないジュリアンだけであった。


「・・・できたわ」
 数時間の後、セイはいくつかのプログラミングと作業を済ませ呟いた。
 彼女の視線の先には人間となんら変わりの無い、端正な顔立ちをしたA.Iロボットが行儀よく座っていた
。
 セイはつながれた一本のコードから、それの起動スイッチの信号を送る。簡単なボタン操作。

「さあ・・・目を開けて。私があなたの主人よ・・・」
それの黒い瞳がゆっくりと開く。光のないその両目に、彼女の姿が映る。
「・・・はじめまして。私は、セイ。あなたの主人」
「ゴ・・・シュジン・・サマ・・・」
幾つかのノイズがすっきりと晴れ、彼の声が聞こえる。まだたどたどしい喋り方。
「そう。あなたは、誰?」
彼女は壊れたかけた体に残ったわずかな記憶のデータを残しておいた。セイはその壊れた姿に惹かれたと同時
に、ボロボロだった彼の素性を知りたかった。

「1192号・・・」
「・・・そう」
やはりたいした記憶は残っておらず、名とも呼べない彼の製造ナンバーだけだった。
セイは少し考えると、その唇に微笑を湛えた。

「あなたは、コトブキ」

「コトブキ・・・」

「そう。あなたの名前。新しいあなたの主人は私。その、証よ」

コトブキの目に、光が射した。

「コトブキ。私のために、働き、尽くすの。そして、生きるの。ずっと、一生よ。私の傍で、ね・・・」

「はい、ご主人様」
「そうよ、忘れないで」


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