言葉にできない、この痛み。

episode:8 熱を帯びた唇

 シゲと初めて出会った保健室でのあの日から一週間が経過していた。
 シゲはセイと交わした約束を訳も無く破り、次の日もその次の日も、教室には現れなかった。
 本当は、そんなものは約束なんかではなく、ただセイがそう決め込んでいただけのことであって、シゲが
セイの前に再び姿を現す確証はない。セイはそれでも、あのときのふたりの会話に希望を持って、彼がまた
自分の前に現れることを待った。会いたいと思った。冷めたような目をしたその姿が、なぜかセイの心を引
き付けてやまなかった。この心躍るときめきを、胸に留めておくことはできなかった。
 何かあるたびに、セイは窓から校門を眺め、その人影が無いことを知ると、一人短いため息を漏らした。
そのセイの様子に、普段落ち着き払っている彼女のそわそわするその様に、クラスの誰もが不思議に思って
いた。

「セイさん・・・なんか元気ないな・・・」
「いつにも増して儚げねえ」
こそこそとみんながセイの姿を見ては囁きあう。しかしそれさえもセイには届かないようで。
「「セーーーイ!」」
業を煮やした双子が、一際大きな声でセイに呼びかけ、思考の渦から強引にセイを連れ戻した。
「ああ・・・ごめん。ユキ、サチ、なあに?」
「何じゃないよ〜。このところそうやってずーっと、ぼーっとしてるじゃない。みんな心配してるよ?」
少しいらだつ様子でユキが言った。
「セイに好きな人ができたんじゃないかー?なんて、みんな言ってるわよ?」
サチが棘棘と攻撃をする。
「好き・・・?好き・・・・か。そうか・・・どうなのかしら・・・」
セイは好きという言葉を今まで考えもしなかった、といような顔で考え込んだ。
 しかしその思いも寄らない返答に、クラス中が一瞬固まった。誰もが「そんなわけないじゃない」といつ
ものように間髪いれずに笑顔で返答されると予想していたのだ。
「はあ・・・」
みんなが息を呑んでセイを見つめる中、セイだけは気付かずまたため息をついた。

 そのときだった。セイがその日何十回ついたかわからないため息を再び漏らしたそのとき。セイの視線の
先に待ち望んでしょうがなかったその人物の姿が飛び込んできた。

シゲ!
 
 セイは居ても立ってもいられず思わず心の中でその名前を叫ぶと立ち上がった。みんなはその行動に驚き
、窓の傍へ群がった。セイにはそんなものを気にする余裕はなく、人を押しのけ教室を飛び出そうとした。

「セ・・・イ」
その姿を見て、コトブキが初めてセイの名前を口にした。コトブキは彼女の腕を捕まえようと手を伸ばした
が、跳ね馬のように飛び出していった彼女に追いつかず、空しく宙を漂うだけだった。コトブキはなぜかそ
のとき、彼女を行かせては行けない様な感じがした。

 セイは廊下を必死に走った。なぜこんなに必死になっているのか、自分でもわからなかった。けれども何
かが彼女を駆り立て、走らずにはいられなかった。
 校庭を走りぬけ、辿りついた先には、紛れも無くシゲがいた。制服は着ておらず、Tシャツにジーンズと
いうラフな格好で。右腕には、あの日セイが巻いたはずの包帯はなかった。セイの姿を見ると、驚いたよう
な顔をしてシゲは立ち止まった。
「胡蝶蘭・・・セイ」

一週間ぶりのその声が、セイの名前を呼んだ。
「・・・どうして学校にこなかったの?クラスメイトなんだから・・・気になる。待ってたのよ・・・」
セイが言い終わらないうちに、シゲはセイの腕を掴んで歩き始めた。
「場所を変えよう。どのみちアンタに用があったんだ」

 シゲはセイを学校から少し離れた公園へ連れてきた。遠くでチャイムが授業の開始を告げている。
「授業・・・サボっちゃったわね。はじめてだわ」
セイは高鳴る胸の鼓動を抑えながら言った。
「へえ、優等生なんだな。まさか学級委員とか?高校生にもなって?」
嫌味ったらしい口調でシゲは言った。セイはその言葉に憮然とした表情をして返す。
「悪い?高校生にだってリーダーが必要なときもあるの。それに・・・優等生だなんて周りが勝手に言って
るだけ・・・」
「ふーん。じゃあ本当はばかなんだ」
「なっ・・・!」
思わずシゲを睨むと、彼はふっと笑みを漏らしたので、セイも怒る気を失くし一緒に笑った。
 不意にセイは包帯の巻かれていない右腕が気になった。
「・・・手・・・」
すると途端に笑いあっていたシゲの顔が険しくなっていった。
「・・・治ったよ。もう、だいぶ前にね」
「嘘!あんな大怪我が一週間で治るわけ・・・!」
治るわけが無い・・・そう言おうとしたセイの言葉は飲み込まれた。シゲが突然セイの体を引っ張り自分の
腕の中に収めたからだ。肌のぬくもりを感じ、セイは目の前が一瞬真っ白になるほど驚いた。
「あんたは気付かなかったみたいだけど」
シゲの低い声が耳元で囁く。
「あいつは気付いてた・・・自分と同類のものの存在にな」

・・・同類

 その言葉をセイは心の中で反芻した。シゲの胸にある耳を澄ます。
 聞こえてくるのは、心臓の音、ではない。聞き覚えのある無機質で規則的な・・・

 機械の音

 セイは腕を突っぱねて体を離した。
「ロボット・・・?」
その言葉を聞き、シゲはにやりと笑った。
「・・・だからって!なんだって言うの?コトブキはちゃんと学校にだって来てるし・・・友達だって・・
・」
「蹴飛ばされて、足を壊されてもか?」
セイは言葉を詰まらせた。何も言えず、俯いてただ地面を睨む。
「いくら人工頭脳をもって、人と同じように考え、行動できるロボットが作られても、人間様にとっては所
詮それは道具でしかない!自分たちのために素直に従って働く都合のいい人形さ。そんなものが自分と対等
の立場で生活をしてるなんて、許せないんだろ?よって殴る蹴るの暴行、ってね」
「でも私は・・・!」
「あんたは違うかもしれない。だけどあんたのクラスの奴らはどうだ?いくら委員長さんが正論振りかざし
たってついてきやしない」
「・・・」
もうセイに反論する言葉は残っていなかった。正しかった、シゲの言う全てが。
「俺はそんなところになんかいかない。誰かと馴れ合うようなバカな真似はしない。人間とは一生、かかわ
りたくない」
「そんな・・・!」
セイは声を荒げた。
「そんなの逃げてるだけじゃない!分かり合う努力をしていないわ!みんなが考えを改めれば、ロボットと人
間、対等に存在できる世の中がくるわ!コトブキは逃げないで闘ってるの・・・きっとコトブキは人間のこ
と嫌いだなんて思ってない。コトブキは・・・」
言葉を続ける前に、シゲの大きな手がセイの頬に触れた。手を払おうとすると更に強く引き寄せられた。セ
イはバランスを崩した。
「・・・!」
立て直そうと前を向いた瞬間。

――――――唇に触れた、熱い体温。

 それがシゲの唇だと気付くのに、セイの頭では暫くかかった。セイは目を見開き呆然としていた。
 シゲは顔を離して、目線をセイとの高さに合わせるようにかがんで言った。
「今の、口止め料ね。バラされたくなかったら、もう俺には関わってくれるな。いいな?ロボットとキス、
だなんてお前の評価最悪になるぜ?」
そういい残すとシゲは背を去っていってしまった。
 セイは引き止めることも出来ずに、そのまま座り込んだ。

「あつい・・・・・・」

 唇をなぞると、先ほどの感触がまだ残っているかのように赤く腫れぼったく、熱を放っていた。



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