あなただけに、響けばいいのに。

episode:10  右手

 教室の中に声は無く、一瞬の沈黙が降りてきた。
 シゲはサチの様子を何も言わず見ているだけで、男たちの矛先も一時サチへと向けられた。
「お前、ロボットの味方なんだ?お前なんなわけ?人間様のくせによぉっ!!お前もいらないものの一部か
よ!!」
冷たい言葉がサチを突き刺す。それでも輪の中座り込んだまま、動こうとはしない。
「・・・そういう問題じゃないわ!」
サチの瞳が強い怒りを宿して男たちを睨んだ。
「ロボットだって同じように傷ついているわ!例え、違う存在でも!私たち一緒に生きているんじゃない!
それを、どうして傷つけるの!?」
「サチ!もうやめな!」
人混みの後ろからユキはその様子が見えないらしく、飛び跳ねながら必死に声を上げる。サチは聞こえない
ふりをし、頑として男たちを睨み続ける。その目には今にも涙が溢れ出そうとしている。
「はん!ご立派だねえ。だけどそんなもん偽善なんだよ!!」
男の腕がサチに伸び、彼女の髪を掴む。しかし途端にその腕を強い力で引き剥がされ、男は廊下へ飛ばされ
た。
「低レベル。小学生のいじめか?」
アキだった。アキはサチに背を向け立ち、男たちとサチの間に割り込むような形で現れた。アキは男たちを
きつい目で見据えた。彼の男を殴り飛ばしたその右手は赤くなっていた。
「なに?加勢?そりゃどーも」
シゲがぶっきらぼうに言いながら、ちらりとアキを見た。
「どうかな?ちょっと用があったんだよ・・・」
アキも普通の調子で返すが、後ろのサチの様子を肩越しに少し気にしていた。

「佐々部・・・アキ!!」
男の中のひとりがアキの姿に尚更闘志を燃やし、飛び掛ってきた。どうやらいつかの朝の事件でアキに恨み
があるらしい。
 乱闘は徐々に大きさを増し、いつの間にやら二人に殴りかかってくる人数が増えている。コトブキは青ざ
めた顔のまま宙を見て呆然とし、サチも座り込んだままそこから動こうとしない。セイでさえも、こんなと
きに、こんなにも大きくなった乱闘をどうやってとめたらいいのかわからず、何も言葉にできずにいた。

 クラスが、静かに、音もなく、壊れていく。

 チーダはそんなことをふっと胸によぎらせ、冷めた目でその様子を見つめていた。
「だいたいなあっ、お前セイさんのなんなんだよっ!」
男の一人が熱くなり、シゲに拳をあげる。
「ああ・・・お前ら、あいつのことでそんなに頭に血ぃのぼっちゃってんだ?」
シゲは男の拳をひらりとかわし、セイのほうをちらりと見やった。セイはびくりと萎縮した。そんなセイの
反応に一番に気付いたのは、ぺっぺであった。
「なあんだ、俺が構われちゃってるのって、セイのおかげだったわけね・・・」
シゲは意地悪そうに、セイを見つつ言った。セイの顔がますます青くなる。ぺっぺはそんな二人の様子を見
て、体の中が熱くなるのを感じた。
「おい!その言い方はセイに失礼だろ!!」
たまらずぺっぺは声を荒げ、二人の視線が交錯する間へ立ちはだかった。
「・・・俺とセイがどんな関係だろうと、俺たちの勝手だろう?」
にやにやと言うシゲを見て、ぺっぺはカッとしてシゲの腕を掴んだ。180cmの巨体が喧騒の中へと加わ
る。
「てめえっ!」
声を張り上げようとも、シゲは顔色ひとつ変えない。
 セイはとうとう居ても立ってもいられず、とめに入ろうと身を乗り出す。
「やめとけ・・・!」
チーダはそのセイの肩を掴み阻む。
「はなしてっ!こんなのいやよ!あの人がまた怪我しちゃう・・・!」
セイはわけがわからないというような顔つきで、必死にシゲの身を案じているだけだった。それでもチーダ
はセイを放さず、言い聞かせる。
「ここでいってどうする!セイまで巻き込まれるだけだ!ケンカする男なんて気が済むまでさせてやればい
いんだよっ!落ち着くんだ、セイ!!」
セイはチーダの目を見つめる。真摯な眼差しが少しずつ、セイの気を落ち着けてくれていた。

 その間も騒ぎは尚、大きくなる一方で、収まろうとしない。
「も〜う、なんでぺっぺまで・・・!」
群集の後ろの方で、ユキがやれやれと大きく溜息をつく。ユキはせめてサチをそのなかから引っ張り出して
やろうと、ギャラリーを掻き分け彼女に近づこうとする。やっとの思いでサチの傍まで届き、彼女の肩に手
を伸ばす。
「ほら、サチ・・・」
呼びかけようとした途端、サチは我を取り戻したようにぱっと立ち上がった。

「・・・やめてよ・・・」
震える小さな声と共に、サチは目の前に居るアキだけをまっすぐ見つめた。
「やめてよ・・・、約束したじゃない・・・」
その声は、傍に居たユキと、視線の先のアキにしか聞こえないような呟きだった。
「こんなことやめてって・・・、言ったじゃない!!」
震える唇をかみ締め、悔しそうにサチはアキを睨みつけた。
 アキは、そんな彼女の表情を見つめ、振りかざした右手の拳を緩めた。
「危ない!」
次の瞬間、突然ユキは叫びサチをかばって抱きしめた。

ガツンッ

 鈍い音が響き、ユキが倒れこむ。
 一瞬の出来事だった。騒ぎに紛れ興奮した誰かが投げつけた花瓶がサチの方へ飛び、それが咄嗟にかばっ
たユキの頭へ命中した。
「っユキ!!!」
サチは悲鳴とも取れる声で叫んだ。
あまりの声に全員が静止し、振り向いた。
「ユキ!ユキ!!」
ユキは目を閉じたまま動かない。血は出ていないようだった。
「ちょっと・・・・ユキ!しっかりしてよ!ねえっ!!」
サチは彼女の体をゆすり、必死に叫ぶ。
「お・・・俺のせいじゃないからなっ・・・」
周りに居た誰かが小声で呟いた。しかし沈黙している周囲にそれはやけにはっきりと響いた。途端にアキは
その誰かを殴り飛ばし、双子の下へ近寄った。誰も何も言わない、言えなかった。
 アキは二人のもとへ屈み込み、ユキの体へ手を伸ばす。サチは反射的にその手を拒むようにキッと睨みつ
けた。
「保健室・・・」
アキは小声で言うと、ユキの体を持ち上げた。サチは頷き、三人は沈黙の教室を後にした。

「どうして・・・」
サチの嘆きにも似た、小さな溜息が、再び擦り付け合いの論争を呼び起こした。
「俺のせいじゃない」「あいつが悪い」「お前が・・・」「あいつが・・・」
教室は声で溢れかえった。誰のせいか、誰が始めたのか・・・。
 シゲはその様子を鼻先で笑い、何事も無かったかのように席に座った。我に帰ったぺっぺは自分の行動を
思い返し顔色を変えた。チーダは静観するばかり。
「お前のせいだよっ!このポンコツ!!」
騒ぎの矛先は再びコトブキへ向き、またしてもコトブキに飛び掛ってきた。セイは驚き目を伏せた。
 しかし、次の瞬間、投げ飛ばされたのはコトブキではなく男の方だった。強く握り締められたコトブキの
拳が、赤く腫れる。

「・・・傷つける人、許さない・・・」

 コトブキが、初めて感情をむき出しにした瞬間だった。セイはコトブキの顔を見つめた。コトブキのその
目は、穏やかにセイを見つめていた。

「こらっ!コレは何の騒ぎだ!全員席に着け!!」
担任のアクィナがクラスの騒動を聞きつけ、教室へとやってきた。皆何も無かったフリをしてがたがたと席
を直す。アクィナはふと、昨日まで教室に現れなかった姿を見つけ目を留めた。
「・・・シゲ」
雑音の中でアクィナが呟く。シゲは自分の名前を呟くその口元を見つめ、静かに微笑んだ。
「ただいま」
シゲは、口の形だけで彼女にそう話しかけた。アクィナは険しい顔を取り繕い目を逸らし、教壇へ立った。

 誰も気付かない呟き。
 右手が、微かに痛む。



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